音楽への"homage"を主題として、思いつくまま気侭に書き連ねています。ブログ名はアルノルト・シェーンベルクの歌曲から
一枚の絵で学ぶ美術史 カラヴァッジョ《聖マタイの召命》を読んだ

一枚の絵で学ぶ美術史 カラヴァッジョ《聖マタイの召命》を読んだ

新しい生活様式」を始めて4月、5月、そして6月が過ぎてもう7月中旬。この間、あいも変わらずCDを買い、いや聴き、本を読んでいる。

今日はそんななかで読んで面白かった本について:

一枚の絵で学ぶ美術史 カラヴァッジョ《聖マタイの召命》
著作:宮下規久朗 出版:筑摩書房 ちくまプリマー新書

カラヴァッジョ。その名前と破天荒な生涯、そしていくつかの作品、しかも扱っているテーマはかなり凄惨であるのだが—-を知っている程度で、これまでは関心外であった。書名にある「マタイ」に惹かれて読むことに。

面白かった—-いろいろと知的な刺激がある。
ただ、1回読んだだけではよくわからず、読み直し、そして様々な箇所を拾い読みした結果の感想だ。

そして「莫迦」にはなかなか理解しにくい、とあらためて思うのだ。もちろん莫迦とは僕自身のこと。

この本の主題である、カラヴァッジョの作品<<聖マタイの召命>>を観て、(自分なりに)理解するにはいろいろなことを知識としてもっていないといけないなぁ、と。だから「莫迦にはなかなか理解しにくい」。そもそも「召命」という言葉そのものが目新しい(という程度の理解力…)

いいわけとなるがそんな知識がなくとも、直観的にわかるということもある、と添えてはおくが。

絵のテーマに劣らず、実生活において人を殺めるということまでしでかし、38歳という短い生涯を閉じたカラヴァッジョ。
バロック美術を切り開いた(と書いてあるので知った—という知識量)。

背景として1517年の宗教改革(とそれに対抗する対抗宗教改革)がある。
ちなみにバッハの大作「マタイ受難曲」の初演が1727年。

この本は、作品<<聖マタイの召命>>で主イエスが召命のためにマタイを指しているが、それが登場人物のなかのだれなのか?を解き明かすのがテーマ。

そのためにカラヴァッジョの生涯や美術史やイタリアだけでなくフランス、スペイン、ネーデルランドなどの情勢など多岐に渡って触れている。そのためか、しっかりと目をすえて読まないと、単に文字を追うだけになりかねない。だから読み直しをすることになるのだが。

読み直しをしたこともあり、いろいろと理解できた、といえる。

僕の関心のほとんどは音楽、それも(いわゆる「クラシック」と呼ばれる)にある。

それはグローバルにみるとヨーロッパという一地域で形成されたもので、その背景には宗教(つまりここではキリスト教)が存在する。

僕自身は、宗教心はある(と思っている)が信仰心(つまり特定の宗教、教義への信奉)はない。何かのおりに寺院、神社、教会などを訪れた際に、他とは異なる空気感を感じ、どこか気持ちを改める、という程度。
そんな僕にとって宗教的な音楽作品を聴いてきて、すこしづつ蓄積した知識しか持ち合わせないなかで、この本のテーマである<<聖マタイの召命>>を受け止めきれないだろうな、と思いつつ、一方でこれまであまり関心もなかった(どちらかといえば凄惨な絵が多いがゆえに放置していたともいえる)画家への関心の扉が開かれた。こういうのを「啓蒙」enlightenmentというのだろう。

「召命」という言葉が「天職」と同義であり、そこに2013年に愛娘を亡くした著者の深い思いが込められており、読後に深い感銘が残響のようにこだまする。

この本には、カラーで絵を見ることができるが、実際の作品は建物の天井に描かれている。つまり実作品は大きい。その建物サン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会に入り作品を見上げたら、いったいどんな思いが湧いてくるのか、と思わずにはいられない。


いささか重箱を隅をつつくようだが:

画中の登場人物のだれがマタイかを、いわばミステリーのように解きほぐすかのように書いているのだが、その問いかけにたいして、次のページで「こいつだ」と答えを書いてしまっているのが惜しい。このあたり著者ではなく編集者の気配りがあったらよかったのに、と。

(念のために書き添えると)話はそこからさらに発展し広がりがあるとしてもね。

そしてカラヴァッジョの年譜と地図があればさらに理解が進むのではないか?と。

アントウェルペンとアント・ウェルペンがあったり….

たかが・(中点)なのだが、おやッと気になる。神は細部に宿るというではないか。

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