音楽への"homage"を主題として、思いつくまま気侭に書き連ねています。ブログ名はアルノルト・シェーンベルクの歌曲から
シェルブールの雨傘 —長7度の哀切

シェルブールの雨傘 —長7度の哀切

「シェルブールの雨傘」という作品の魅力、音楽面で究極の魅力は何かといえば、主人公ギーとジュヌヴィエーヴがうたう、この作品におけるメインテーマともいえる曲(英文では”I will wait for you”)であり、さらに突き詰めれば、ある1つの要素に集約できます。この要素が、この映画を見た人に消えることのない印象を刻むのです。


曲全体を眺めると、その作りは極めて「シンプル」です。

オペラならばアリア、シャンソンに喩えればルフラン(Refrain)にあたるこの曲は、4小節を単位として a b a c 計16小節で構成され、これを繰り返します。
このアリアの前にはレシタティーヴォ、(シャンソンではクープレCouplet)があります。しかし、M_Lは一筋縄ではゆかないヒトですから、これはレシタティーヴォ、こちらがアリアというようなことはしません。またアリアのなかに、レシタティーヴォの音型がさりげなく使われています。アリアでも単にリピート(繰り返す)することはありえません。メロディーの歌われ方(フレージング)も微妙に変化します。もっともこれは歌詞との関係があるので一概にはいえませんが。

「ガレージの前で」のシーンでのこのアリアを見てみます。(CD SICP 1367-8  track 11)

和音進行

一言で言えば「平凡」。短調とその並行調となる長調(「ガレージ」のシーンではハ短調と変ホ長調がベース)の主要3和音を使う程度です(実際にはもう少し複雑ですが)。
その進行は、身近なところでは、「ニューミュージック」系さだまさし、松山千春などの作品に、M_Lの母国であるフランスでは、シャンソン、プレンチポップスやラブミュージックと呼ばれる曲、例えば「サバの女王」(後半部分)など多くの曲で聴くことができます。

メロディー

もし、楽譜が手元になあるならそれを見る、あるいは想像してみてください。

平凡な和音進行の上に、平凡さとは正反対の、創造性の塊のような—M_Lならの、そして不滅のといえる—メロディーが作られています。最初にこの曲は「シンプル」です、と書きました。しかしメロディーにおいて、この「シンプル」さに到達するまでに、どれほど様々なことが試され、その結果として、この形、これしかありえない形—だれもが考え付かなかった、まさに比類ない旋律線を描いています—に到達したのでしょうか。

その比類のなさをもたらすのが「長7度」の(上行)跳躍です。この曲の魅力がこの「長7度」に集約されるのです。

長7度、半音上げれば8度つまりオクターブ、半音下げれば短7度、属7の和音でいえば根音と第7度の関係となります。どちらの跳躍も、多くの曲において聴くことがでます。しかし長7度は珍しく、またわずか16小節の中で3回も出現します。メロディーを作る点においては、極めて珍しく、しかもこのようなタイプの作品において、長7度の跳躍を、これほど使っている作品を他に知りません。

この長7度の跳躍が生まれたプロセスを追体験してみます。おそらく以下のようになるのでしょう。
それは、基本(平凡)、すこしの進化、さらに飛躍という創造のプロセスの追体験でもあります。

音型をマトリックスにしてみます。

  1 2 3 4 5 6
A1 [G] Fis G F Es D
A2 C H C B As [G}
B1 Fis G F Es D C
B2 H C B As G

各列の3-4-5-6を順番に弾くと、Gから、誰にも止められない「時間の流」れのように(ほぼ)1本の線となり、ハ短調のスケール上の音を順番に下行して、2オクターブ下のGまで落ちるだけです。

これを2つに分割します。その音型はそれぞれ1オクターブ内に収まります。

さらに、各列の開始音である3の音を刺繍音を使い修飾します(1-2-3)。音型としては、5に先立つ4つの音で構成される装飾ともなります。各列を形成する音程は、4度内に収まってしまいます。

しかし、これだけでは音楽にはなりません。そこでメロディーに対して想定している和音を前へずらします(5から4へ)。すると、各列4の音が、倚音のような機能を持つようになり、メロディーがすこし「進化」しました。しかし、まだ不足です。

おそらく様々なことが試されたのでしょう。そして、ついに「閃き」ます、この長7度の跳躍(C から上のHへ)が。音型は3の音の単なる修飾(A2列における刺繍音 C-H-C )から、極めてユニークなものに変貌しました。それはストーリーのもつ哀切さを、そのストーリーと同じ強さで表現できる音型であり、あたかも「時間の流れ」が支配するメロディーラインにおいて、その流れに抗うような「軋み」、「悲鳴」のようです。

同じ動きを次のB2にも使ってみます。ぴったり納まります。ここまでくれば、あとは音が導いてくれます。そして、最後の4小節では、長7度の跳躍を除けば穏やかだったこれまでの動きとは正反対に、かなり広い音域に渡って大胆に音を動かし、終止感を持たせます。

その結果として

このメロディーを性格付けるといえる、各フレーズの最初の3つの音による音型の最初と最後の音は、非和声音であり、特に3つ目の音は、その小節の1拍目になることもあり、実際は経過音的なものにもかかわらず、実質は倚音のような、極めて強い表現力を備えました。それらの音は、近い和声音へと向かいたいという意思にしたがって、落ち着くべき音へと進みます。また、この音型は、長7度の跳躍先である音型ともぴったり重なるのです。
このように見てくると、この曲が、極めて少ない要素から成り立っていること、そして「閃いた」長7度の上行がこの曲を特徴付けていることが理解できます。

最近発売されたCD(サウンドトラック)のブックレットには、監督ジャック・ドミーとM_Lがどのようにこの作品を作り上げたかということが書かれています。それによれば、当初はM_Lの実験精神があふれすぎて前衛的なものになっていたとのこと。もしかすると、ドビュッシーの「ペレアスとメリザンド」に続くような作品をイメージしていたのかもしれません。これは想像の域をでませんが……。それがジャック・ドミーとの長い間(数か月にわたった)のやりとりをのなかで、M_Lは様々なことを試したのでしょう。そういった時間の積み重ねの中から、まさしく、これでしかないという長7度の跳躍が閃きました。それは創造するものにとって至福の瞬間であり、「シェルブールの雨傘」が不滅の作品となった瞬間でもあるでしょう。

アリアが固まりました。つぎはこの素材をどう展開させるか、です。

アリアは16小節で構成されています(ポピュラーやジャズの世界ではこの単位を「コーラス」と呼びます。つまり2回繰り返すなら2コーラス この曲に当てはめれば abac abac となります。もう少し長くすると、 abac abac ac という形もあります。最後の ac は半分なので半コーラスであり、全部で2コーラス半となります。

メロディー、長7度の切なさをさらに増幅させるような「仕掛け」が展開に秘められています。

ガレージのシーンでは、アリアは3回繰り返されます。しかし、ただ単に繰り返されるのではなく、最初、ハ短調、ついで嬰ハ短調さらに変ホ短調というように、まるで二人の気持ちの変化、高ぶりを表すかのように転調を重ねます。しかもその転調の仕方が極めて自然です。

もう一つの例として、最後の再会のシーンを見てみます。
再会した2人はこのアリアのメロディーを歌いません。
駅での別れから6年経過し、もう昔のままではなくなっており、このメロディーを歌いたくても歌えないのかもしれません。バックに流れるこのメロディーに、別の旋律(ともいえない断片)に様々な思いを秘めながら、少ない言葉をのせるだけです。そのことがこのシーン、ひいては作品全体をいっそう深いものにし、大きな感動となり、深い余韻として残ります。

このシーンでは、オーケストラによってメロディーが切々と繰り返し歌われます。
繰り返す中で、前のコーラスの終了を待たずに、前のコーラスの終わりに重なるように、拍数でいえば8拍分前に出てくる形で次のコーラスを始めているところがあります。それは、まるでこみ上げてくるものを抑え切れないような心の動きがそのまま音になったようです。


このように分析してみると、とてもよく考えられた作り方をされた作品だということが理解できます。しかし実際に音として歌われ、演奏されるのを聴くと、そのような「仕掛け」は、この曲の背後に消え、メロディーのもつ切ないまでの美しさだけが際立つだけです。

名曲中の名曲といえるでしょう。

(# 楽譜で説明すればもっと簡単かつ明瞭なのですが。楽譜を引用として掲載できないかを社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)に確認をしました。しかし答えは…)

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